夏休みに「田舎に帰る」といって地方の実家で過ごす子らを羨ましかった。ずっと自分の家にいたので。 ○かやぶき 屋根の家、庭先のマキ ○楕円形の掃除機 ○「準急・房総」~ネットで調べると、(昭和34年)新宿発→千葉で3分割(銚子、内房方面、外房方面)昭和37年10月に「内房」「外房」となり、名称無くなる。今は無きJRの「準急」、気動車王国だった房総半島。 68才世田谷区若林 詳細
親は島育ちなので、若い頃の写真に海岸で牛の親子(野牛です)が映りこんでいたのを思い出しました。母牛が後ろを遠くついてくる子牛を振り返り、モーと呼んでは歩いていったそうです。私はこのエピソードが愛おしくて昔の8mmで映像を見せられたかのように覚えています。 49才川崎市 詳細
夏休みに母方の田舎、和歌山県の新宮へ毎年のように行っていました。新幹線もなく紀勢線も南回りしかなく、移動は途中1泊で楽しかったけれど親の負担(経済的)は大変だったのでは。新宮の大浜で地引網をジープで引き上げて釣ることを印象的に覚えています。新宮の方言がほとんど理解できずに海外にいるような感じでした。逆に地元の人に「都会の子はコトバきれいやなぁ!」と言われました。 71才大田区 詳細
夏休みの帰省で海水浴に行った記憶はないが、8年くらい前に、住み込みのアルバイトで夏の間伊豆大島に行っていた友人を訪ねて大島に行き、2人で海を泳いだことがあったなと思い出した。その友人と九十九里浜の海岸でキャッチボールをしたこともあるが、それは冬だったので海には入っていない。 35才目黒区 詳細
自分が子どもの頃は、両親がよくビデオを撮っていたことを思い出しました。ひとりっ子なのでほぼ私しか映っていないビデオでした。それに比べると今日の映像は詩的センス(?)を感じました。ホームムービーっぽくないというか・・・・。また自分の出身が横浜の海沿いで、漁港もあるような場所だったので、海岸の風景を見ていると時代も場所も知らないところなのに何となく懐かしくなります。 32才目黒区 詳細
子どもの頃、同じく海辺の街・逗子に住んでいた。だから夏休みの思い出と言えば、真っ先に海である逗子の梅は海水浴客が多いためか、透明度が低く、正直汚かったと思っていたら、大原の海も逗子とたいして変わらない。人のせいではなかったのかと思った。しょっちゅう海に行っていたくせに泳ぐのが嫌いだった。東京に引っ越すことになった時、逗子から来たのに泳げないとは口が裂けても言えないので、直前の夏休み、古河電工の保養所のプールを貸していただき、1人ひたすらクロールの練習をしたのを思い出す。何とか泳げるようになり恰好がついた。 57才世田谷区太子堂 詳細
茅葺屋根なので、夏でも薪を燃したのでしょう。映っていないけど囲炉裏があったのでしょうか。映像に障子紙を破いているシーンがありました。あの中央だけガラスが入っている障子戸、近頃見なくなりましたが、私の実家も母の実家もあのタイプでした。ガラスの一部が摺りガラスで模様をつけてあるのが懐かしいです。 今年の暮れに63才になります世田谷区宮坂 詳細
一緒に鑑賞した方の当時のエピソードを聞いて、にわとりの鳴き声、にわとりを追っかける時の掛け声が思い出された。当時を生きてはいないのに思い出すような(想像とは違う)感覚が不思議で面白かった。 51才世田谷区若林 詳細
帰省というと海はなかったが、父方の祖父母の家に夏休み、よく遊びに行っていた(新潟の長岡市)。親戚の家で牛を飼っていたり、囲炉裏のある古民家の様な家に挨拶まわりについていった記憶がある。オロナミンCなどのホーローの看板、ビックリマンシールのニセモノのガチャガチャなど独特の雰囲気の思い出。「光井さん」という食料品店で祖母にお菓子をいつも買ってもらっていた。 42才世田谷区 詳細