巣鴨ってこんなに普通っぽい商店街だったんだなぁ。大きい通りはたぶん白山通り。
57才 世田谷区
巣鴨ってこんなに普通っぽい商店街だったんだなぁ。大きい通りはたぶん白山通り。
57才 世田谷区
花子だ。
34才 目黒区
今と違う車が走っている。家も服も今と違う。こんなだったんだ。
6才 世田谷区
オート三輪が走っている点、自転車がママチャリではなく実用車なのが良い。
21才 千葉県船橋市
撮影者がこれを持ち帰って、どんな説明をしながら報告したのかな、と想像しながら見ました。各地の防火帯建築の名残りも気になります。三笠ビル、行ってみたいです。
66才 横浜市
高円寺に住んでいた時は商店街の肉屋や魚屋をいろいろ回っていいもの、安いものを探していました。
40才 世田谷区桜
「プレイボール最新刊ありますか?」と聞いたところ眉をひそめて「子供には売れませんよ!」と叱られた。
56才 世田谷区太子堂
見世物小屋に入った記憶が駒留八幡でした。意を決してお金払って入ったのに、インチキぽかったのも懐かしいです。
68才 世田谷区若林
ヴァルター・ベンヤミンはパリのパサージュ(アーケード)について「パサージュ論」という本を書きましたが、日本では学問的に研究の対象とならず論外になってしまったのは残念です。
70才 大田区
買い物カゴを下げて日用品あれこれを買う母や祖母を思い出しました。物を売りに来る人々も多かったように思います。(ミゼットなつかしー)
68才 大田区蒲田本町に住んでます。古い商店街の多い所です(あちこちの商店街行ってみたい・・・)
初めて商店街の8mmを見て、映像にある道路の風景、市場の様子は何か台湾の街の風景と似ていると感じた(道路の木や看板など)。
29才 立川市(台湾出身)
今日の映像と当事者の方々の語りを体験し、知らないはずなのに懐かしい、不思議な気持ちになりました。
23才 山梨県富士吉田市
巣鴨商店街が昭和40年の段階でそんな先進的な存在だったことから、”おばあちゃんの原宿”を経て今日に至る流れをもっと知りたくなりました。
50代 豊島区
今もウルトラマン商店街がある場所に住んでて、その賑わいにどこか惹かれて住む場所を選んでるのかもしれません。
36才 世田谷区
商店街は身近にあるものではなくて、清水で七夕祭りがあるから、祖父のいた大阪に遊びに行った時にあったりしたが、ほとんど思い出がないことに気づいた。
19才 八王子市
うちに昔から来てくれているお豆腐屋さんを思い出しました。ボウルを持っていくとその中にお豆腐を入れてくれるのがとても新鮮だったのと、小さい頃その売りに来る時のバイクに乗せてもらったのが良い思い出です。
43才 静岡県静岡市
おやつに参画【三角】のフライドポテト1個1円紙に包んで持って帰って食べた思い出があります。
65才 週2回上野 鳩山町
行商→市→商店街→スーパーマーケット→ネットスーパーへの変化を生きています。
46才 三鷹市
ボロ市、おめんかぶりの露店での耳かき売りの白髪の老人、その息子さんが引き継ぎ、その息子さんの死後、後を継いだ人が巣鴨のトゲヌキ地蔵で営業していました。
66才 三鷹市井の頭(世田谷に32年、三鷹に34年)
鯉は長生きだからまだ元気かも。
54才 世田谷区
奈良公園の鹿も鹿せんべいも、こんな昔からあったのですね。4才の男の子がとても愛らしいです。お洋服は当時では普段着なのでしょうか・・・
45才 板橋区
オロナミンCなどのホーローの看板、ビックリマンシールのニセモノのガチャガチャなど独特の雰囲気の思い出。「光井さん」という食料品店で祖母にお菓子をいつも買ってもらっていた。
42才 世田谷区
一緒に鑑賞した方の当時のエピソードを聞いて、にわとりの鳴き声、にわとりを追っかける時の掛け声が思い出された。
51才 世田谷区若林
映像に障子紙を破いているシーンがありました。あの中央だけガラスが入っている障子戸、近頃見なくなりましたが、私の実家も母の実家もあのタイプでした。
今年の暮れに63才になります 世田谷区宮坂
しょっちゅう海に行っていたくせに泳ぐのが嫌いだった。
57才 世田谷区太子堂
自分の出身が横浜の海沿いで、漁港もあるような場所だったので、海岸の風景を見ていると時代も場所も知らないところなのに何となく懐かしくなります。
32才 目黒区
8年くらい前に、住み込みのアルバイトで夏の間伊豆大島に行っていた友人を訪ねて大島に行き、2人で海を泳いだことがあったなと思い出した。
35才 目黒区
夏休みに母方の田舎、和歌山県の新宮へ毎年のように行っていました。新幹線もなく紀勢線も南回りしかなく、移動は途中1泊で楽しかったけれど親の負担は大変だったのでは。
71才 大田区
大原は漁港のイメージが強かったので泳げるなんて意外でした。
68才 大田区蒲田
自分の父母が10代だった頃の映像となるため、父母から聞いた当時の話はこのような風景の中にあったのだなと思い浮かべながら拝見しました。
41才 世田谷区
自分の知らない当時の姿が不思議で、この時に一生戻ることは出来ないが、映像を通してこの時に逢えるのが面白いなと思いました。
20才 日野市
親は島育ちなので、若い頃の写真に海岸で牛の親子(野牛です)が映りこんでいたのを思い出しました。母牛が後ろを遠くついてくる子牛を振り返り、モーと呼んでは歩いていったそうです。
49才 川崎市
自然と共存しながら生きる素晴らしい暮らしをしてたのだと感じました。
30才 世田谷区三宿
私も4~6才の頃、大原で過ごした。花火大会の渋滞で大泣きし、もう帰りたいと言って家族を困らせた。花火が始まって、車の後ろ窓から花火を眺めていた。
31才 北区
夏休みに「田舎に帰る」といって地方の実家で過ごす子らを羨ましかった。ずっと自分の家にいたので。
68才 世田谷区若林
自動車ー水冷エンジンでオーバーヒートした時に薬缶の水を注ぎ足していた。オリンピックー毎日、小学校で競技のテレビ中継を見ていた。
69才 世田谷区
今の恵比寿と街並みが違いすぎて本当に恵比寿なのか?今もある目印になるような建物などは映っていますか?
40代 世田谷区
当時のレクリエーションは歩くのが基本。映像にあるような公園には、紙芝居屋が来ていた。近くの市場で大火事があった。市合併のころ博覧会があった。グレン飛行士の映画。
68才 上北沢
お墓参りの様子、母の服装など「見たことある!」と頬がゆるみました。どこへでも車で出掛けた記憶です。
53才 世田谷区
フィルム廻しは映画関係者並みの腕前です。映画フィルムも米国に没収されてた時代にと思うとかんがい深いです。
--才 ---
大島にも桟橋はなく”はしげ”だったこと。下山のすべり台には驚き、日帰りにも驚き。伊豆の方から入ったのでしょうか、竹芝ではなさそう。カラーだったら海の鮮やかであったろうこと想像しました。母が見ていたであろう風景に会え光栄です。
59才 世田谷区
当時にタイムスリップしたような感覚。ファッションも異なり、おもしろかった。
--才 ---
このような貴重な物を私たちが大切にし、しっかりと次の時代にも受け継いでいきたいなと思いました。
--才 ---
赤ちゃん連れの里帰りは大仕事だったことと思います。大量の布おむつ、年に一度しかないかもしれない外孫のためにご実家で用意されたのでしょうか。それともお母さんがバッグいっぱいに詰めて?
63才 世田谷区
地方の名士(資産家)のくらしの豊かさは、とても戦後14年のものとは思えなかった。
58才 太子堂
この年は社会的には60年安保闘争で大変な年だった筈なのに、この映像には全くそんな事ミジンにも感じられず、全く平和そのもので一般の家庭人はこんなことだったのかナ・・・・と思いました。
6才 渋谷区笹塚
同じ頃、関西旅行に行き、牛乳がなかったことで東京から京都までずっと泣いたエピソードを思い出しました。(はは・・・)。←2歳半くらいでした。
69才 今、東六郷に居ます。
目が見えなくなっていた母方のひいおばあちゃんに、私が優しかったようで、大きくなってあとから何度か母にほめられた記憶があります。
69才 世田谷区
娘の仕草が細かなカットでひたすら繰り返される。愛情に溢れている。
23才 渋谷区
映画でも観ているみたいです。バック・トゥ・ザ・フューチャーを思い出しました。
30才 世田谷区
動物も子どもたちも戦争のために奉公させられる。こんな時代は二度と来ないでほしいです。
50代 世田谷区
台所のうら口を出ると井戸があった。背のひくい井戸。夏にはすいかをひやした。
66才 豪徳寺2丁目在住
土の路、各家庭のコンクリートゴミ箱、自転車の往来のない安全道、三輪自転車、乳母車の手押し風景、なつかしいね~!
--才 ---
当時父親に連れてもらった映画館の記憶を思い出した。その頃群馬県に住んでいて、車で15分くらいかけて、映画館に行っていた。
31才 神奈川県相模原市
昭和初期に建てられた川上頁双の川上自動歌劇団の(現ライズ元住凧玉川園内)建物写真を探していることを思い出した。
68才 玉川
当時は父が仕事で休日も忙しく、姉と私を連れて、母がよく映画館につれていってくれました。家の近くの映画館には二番館しかなく、封切映画を観に、新宿まで行っていたのを思いだします。
51才 東京都下(同じ街に住んでいます)
二子玉川園だった頃には行ったことがありませんが、ナムコワンダーエッグになってからは一度だけ行ったような・・・。その後、閉校?した近くの高校のグランドに子どものサッカーの試合に行った時、土手沿いが工事中だった記憶があります。
62才 世田谷区上馬
祖父が昔、三軒茶屋に住んでいました。20代の頃だと思うので、昭和56年当時はもう長野で床屋をしていたと思います。
32才 横浜
母も祖母も、映像内のお母さんのようなかっちりとしたジャケットとボックススカートを着て、お出かけする人でした。
45才 静岡
二子玉川遊園地で乗った”東洋一のジェットコースター”が恐かった(小学生時代)。いまだに〇〇マウンテン系は乗れないトラウマがあります。
現在70才 ---
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