ボロ市、おめんかぶりの露店での耳かき売りの白髪の老人(写真展示もあり)、その息子さんが引き継ぎ、その息子さんの死後、後を継いだ人(孫ではない)が巣鴨のトゲヌキ地蔵で営業していました。60年以上継ぐ露店… 66才三鷹市井の頭(世田谷に32年、三鷹に34年) 詳細
お話を聞いていて、商店街はお祭りの屋台や市場から通じる練り歩き、うろうろとそぞろ歩きする楽しさがあると思いました。日頃の毎日の買い物にも、意外な出会いがありそうです。行商→市→商店街→スーパーマーケット→ネットスーパーへの変化を生きています。 46才三鷹市 詳細
昔小さい頃、家族で巣鴨へ。いまだに一つのお店がまだ残っていたらしい。私は記憶なし。団地にいたので近くの市場へ買い物かごを持って母と行って、野菜、お肉を買っていました。懐かしい思い出。おやつに参画のフライドポテト1個1円紙に包んで持って帰って食べた思い出があります。地方の商店街は楽しいです。 65才週2回上野 鳩山町 詳細
昔の買い物の話になって、うちに昔から来てくれているお豆腐屋さんを思い出しました。ボウルを持っていくとその中にお豆腐を入れてくれるのがとても新鮮だったのと、小さい頃その売りに来る時のバイクに乗せてもらったのが良い思い出です。 43才静岡県静岡市 詳細
映像で見た商店街はあまり縁がない場所でしたが、三軒茶屋も商店街が賑わっていて、今もウルトラマン商店街がある場所に住んでて、その賑わいにどこか惹かれて住む場所を選んでるのかもしれません。デパートやショッピングモールだけではなく、個人商店が集まる形は失われてほしくないなぁと改めて感じました。松陰神社の八百屋、肉屋さんでお買い物してたことも思い出しました。 36才世田谷区 詳細
自分は、16才から初めて日本に住み始めました。日本の生活の様子は一時帰国のとき以外は、古い写真や両親の語り、映画と本でしか体験できませんでした。今日の映像と当事者の方々の語りを体験し、知らないはずなのに懐かしい、不思議な気持ちになりました。新しい”古い風景”が自分の内に作られました。 23才山梨県富士吉田市 詳細
初めて商店街の8mmを見て、映像にある道路の風景、市場の様子は何か台湾の街の風景と似ていると感じた(道路の木や看板など)。また、ただいま立川市のシネマ通りの近くに住んでいて、あそこの昔商店街の感じも映像に映した商店街と似ていると思う。 29才立川市(台湾出身) 詳細
買い物カゴを下げて日用品あれこれを買う母や祖母を思い出しました。物を売りに来る人々も多かったように思います。(ミゼットなつかしー) 68才大田区蒲田本町に住んでます。古い商店街の多い所です(あちこちの商店街行ってみたい・・・) 詳細
商店街、死語になりつつあると思います。ヴァルター・ベンヤミンはパリのパサージュ(アーケード)について「パサージュ論」という本を書きましたが、日本では学問的に研究の対象とならず論外になってしまったのは残念です。いずれは人々の記憶から消えていってしまうのはとても悲しい限りです。文化の絶滅危惧種に指定して保存してくれませんかねぇ。 70才大田区 詳細
賑やかで活気のあった頃の地元商店街を思い出しました。生鮮三品のお店も複数ありました。ボロ市も臼杵を売っていたり、新年を迎える年の市の気分がありました。見世物小屋に入った記憶が駒留八幡でした。意を決してお金払って入ったのに、インチキぽかったのも懐かしいです。 68才世田谷区若林 詳細
子どもの頃住んでいた逗子には、屋根付きの商店街が駅前からずっと続いていて、人通りも多く賑やかだった。計画的に作られたものだと思う。 昔ながらのおもちゃ屋さんでプラモデルやミニカーを買っていた。友達のお母さんが椿書店という本屋さんで働いていた。コミックの”プレイボール(ちばあきお)”の新刊を買おうと、そのお母さんに「プレイボール最新刊ありますか?」と聞いたところ眉をひそめて「子供には売れませんよ!」と叱られた。 何で子供に売れないのだろう?と当時は分からなかったが、今思えば雑誌の”プレイボーイ”と間違えていたのだと思う。 56才世田谷区太子堂 詳細
高円寺に住んでいた時は商店街の肉屋や魚屋をいろいろ回っていいもの、安いものを探していました。今も面影残る商店街はたくさんあると思うので、なくならないうちに行ってみたいと思いました。横須賀も雰囲気が違いそうなので見てみたい。屋根や看板に注目! 40才世田谷区桜 詳細
撮影者がこれを持ち帰って、どんな説明をしながら報告したのかな、と想像しながら見ました。今は六角橋商店街という所の近くに住んでおり、昭和の名残がある商店街が大好きです。各地の防火帯建築の名残りも気になります。三笠ビル、行ってみたいです。 66才横浜市 詳細