こどもの国には遠足で行ったことがあります。エントランスを入ってすぐ、広い道の上にたくさんチョークが置いてあり、そこでのびのびとお絵描きができたこと、楽しい思い出です。当時はどんな場所だったのでしょうか。子どもが着ている黒い丸襟がフカフカで暖かそうなコート、とても可愛らしい。 26才世田谷区 詳細
現在では数少なくなってしまった銭湯。自分が子どもの頃は当たり前に行っていたけど・・・。日本の貴重な風景の一つだと思う。人とのふれあいが昔は多く、知らない大人でも子供に目を配ってくれていたなぁと振り返った(良い意味でおせっかい、笑)。雪だるまを作る子供たち、大勢で遊べる事って大切だと思った。子ども社会で学ぶ事も多いので。キケンが伴うけれどそれも成長の為に必要だったなと。雪だるまの目などが炭?を使っていてカワイイ!! 37才世田谷区 詳細
気になったものは、住宅の塀に囲まれた路地、玄関の引き戸やその他の建具、台所の様子。花模様のトースターのカバー。撮影者はなぜ台所をパンで撮ったのか?お餅を焼いているように見えたが、食べていたのはご飯?・・・等々。 64才横浜市 詳細
国道のバイパス沿いに蒲鉾屋根の屋内スケート場が開設され、学年全体で訪れ、一日体験授業のようなものが行われた。私は初めてリンクに立ち、滑り始めたが、止まり方を知らないので、壁に当たって止まるほかなかった。他の生徒がエッジの長い靴でスピードを出して滑っていたり、男の先生がフィギュアの靴で軽やかに滑っているのを見て、羨ましく思った。 67才世田谷区 詳細
子どもさんの服装ウールのオーバーであろう。今ならダウンコートである。雪だるまの鼻、口、炭であろう。当時は暖をとるのに火鉢ややぐらこたつで炭が使われていた。現在は炭も手近になく、茶道の炉で使うぐらいである。 三重県桑名市で私が育った頃、戦争、戦後で物がなく長靴もなかった。大雪の日高下駄で学校へ行った。下駄のはの間に雪がはさまって更に高くなり転びそうであえぎあえぎ登校した思い出がある。 東京に来て子供等が小学生の頃、4月桜と一緒に雪が降ったことがあった。映像の子どもさん、新一年生で嬉しそう。当時はまだ通学路の車も少なかったようだ。周囲の家、マンションもなく木造である。側面の板の家が懐かしい。この頃はモルタルである。節分の豆まき、今年は新型コロナウィルスの影響でお寺などでも中止が多くさみしい年になった。一日も早く終息し、来年には大勢元気に豆まきが出来ればと思う。 86才世田谷区代田 詳細
節分の時姉弟5人で豆まきをしました。秋に取れました。大豆母がかまどいって自分の年の数だけひろって楽しみました。節分の頃になりますと思い出されます。はるか昔のことになります。千葉県外房が古里ですが今になって母に聞いてよかったと思います。屋根瓦にカゴを乗せてます。節分の行事になってました高齢の方も亡くなり今現在うすられて来ました。幼少の頃の思い出に残ってます。世田谷区も神社で節分が開かれてます。私も太子堂の円泉寺住職が5人、区の議員、町会の役員の方々が、お菓子、豆まきをしてたくさんの人が来ました。今年はコロナウィルスで中止になりさみしいですね。来年開かれる事楽しみにしてます。 -世田谷区 詳細