時代によって雪だるまの顔の素材はどんなふうに変わるのか、ワクワクした。私が作った雪だるまの顔の素材は、枝や木の実、鼻は氷柱を使ったような記憶・・・。
29才 杉並区
時代によって雪だるまの顔の素材はどんなふうに変わるのか、ワクワクした。私が作った雪だるまの顔の素材は、枝や木の実、鼻は氷柱を使ったような記憶・・・。
29才 杉並区
男の子2人を含め、カメラに映る人たちの表情が印象的で、自分の生まれる前の時代ではあるもののノスタルジックな気持ちになりました。
47才 浦安市
自分の写っている写真を親がどういう気持ち、どういう顔をして撮っていたのかなぁと想像した。
50代 世田谷区上馬
序盤に写る大人たちは照れくさそうな表情をしているのに、子どもたちは終始自然体で面白かった。
22才 仙台市在住
心霊番組で「何かが映っているもの」として私はよく見かける気がするのですが、この映像にももしかして・・・(笑)
21才 茨城県
雪の感触や冷たさ、半纏の温かさを感じるような気さえしてきました。群衆の歓声や、電車の音なども自分のなかで補完しながら見ました。鐘の音は聞こえてきませんでした!
年齢は内緒ですが、中年です。 東京都府中市です。
森田芳光監督の『の・ようなもの』が評判になり、どうしても見たいと思って名画座を探したら二子東急で上映があったので見に行きました。映画が終わった後、外に出ると既に暗く荒寥として風景が広がっていました。
71才 世田谷区
当時、通学路の乗り換え駅が五反田だった。当時の五反田は山手線でありながら、場末感の強く漂う街で、空気も淀んでいたように思う。駅前に五反田有楽街という歓楽街があった。その中に日活のピンク映画館があった。
58才 太子堂
学校帰り、名画座に通い、映研で8mmカメラを回してました。
61才 世田谷区
大江健三郎さんの小説にも出てきますよね・・二子玉川園、小学生のころよくプールに行きました。このフィルム撮られたころには、三茶の名画座には行きましたが、二子は覚えてません。
69才 今雑色に居ます。京急線です。
二子玉川園はとにかくなつかしい。小学生からかよっていたし、大人になってもプールとかに良く行った。高校も近かったし、閉園となった時は本当に悲しかった。
現在27もとい72才です。 大田区在住です。
映画館、弁当持参で一日中過ごしたこと。二子玉川園、閉園の日、ホタルの光を聞いていたこと(丸子の多摩川園でも・・・)
67才 三鷹市井の頭コチラの方が長くなりました。
二子玉川遊園地で乗った”東洋一のジェットコースター”が恐かった(小学生時代)。いまだに〇〇マウンテン系は乗れないトラウマがあります。
現在70才 ---
母も祖母も、映像内のお母さんのようなかっちりとしたジャケットとボックススカートを着て、お出かけする人でした。
45才 静岡
祖父が昔、三軒茶屋に住んでいました。20代の頃だと思うので、昭和56年当時はもう長野で床屋をしていたと思います。
32才 横浜
二子玉川園だった頃には行ったことがありませんが、ナムコワンダーエッグになってからは一度だけ行ったような・・・。その後、閉校?した近くの高校のグランドに子どものサッカーの試合に行った時、土手沿いが工事中だった記憶があります。
62才 世田谷区上馬
当時は父が仕事で休日も忙しく、姉と私を連れて、母がよく映画館につれていってくれました。家の近くの映画館には二番館しかなく、封切映画を観に、新宿まで行っていたのを思いだします。
51才 東京都下(同じ街に住んでいます)
昭和初期に建てられた川上頁双の川上自動歌劇団の(現ライズ元住凧玉川園内)建物写真を探していることを思い出した。
68才 玉川
当時父親に連れてもらった映画館の記憶を思い出した。その頃群馬県に住んでいて、車で15分くらいかけて、映画館に行っていた。
31才 神奈川県相模原市
土の路、各家庭のコンクリートゴミ箱、自転車の往来のない安全道、三輪自転車、乳母車の手押し風景、なつかしいね~!
--才 ---
台所のうら口を出ると井戸があった。背のひくい井戸。夏にはすいかをひやした。
66才 豪徳寺2丁目在住
動物も子どもたちも戦争のために奉公させられる。こんな時代は二度と来ないでほしいです。
50代 世田谷区
映画でも観ているみたいです。バック・トゥ・ザ・フューチャーを思い出しました。
30才 世田谷区
娘の仕草が細かなカットでひたすら繰り返される。愛情に溢れている。
23才 渋谷区
目が見えなくなっていた母方のひいおばあちゃんに、私が優しかったようで、大きくなってあとから何度か母にほめられた記憶があります。
69才 世田谷区
同じ頃、関西旅行に行き、牛乳がなかったことで東京から京都までずっと泣いたエピソードを思い出しました。(はは・・・)。←2歳半くらいでした。
69才 今、東六郷に居ます。
この年は社会的には60年安保闘争で大変な年だった筈なのに、この映像には全くそんな事ミジンにも感じられず、全く平和そのもので一般の家庭人はこんなことだったのかナ・・・・と思いました。
6才 渋谷区笹塚
地方の名士(資産家)のくらしの豊かさは、とても戦後14年のものとは思えなかった。
58才 太子堂
赤ちゃん連れの里帰りは大仕事だったことと思います。大量の布おむつ、年に一度しかないかもしれない外孫のためにご実家で用意されたのでしょうか。それともお母さんがバッグいっぱいに詰めて?
63才 世田谷区
このような貴重な物を私たちが大切にし、しっかりと次の時代にも受け継いでいきたいなと思いました。
--才 ---
当時にタイムスリップしたような感覚。ファッションも異なり、おもしろかった。
--才 ---
大島にも桟橋はなく”はしげ”だったこと。下山のすべり台には驚き、日帰りにも驚き。伊豆の方から入ったのでしょうか、竹芝ではなさそう。カラーだったら海の鮮やかであったろうこと想像しました。母が見ていたであろう風景に会え光栄です。
59才 世田谷区
フィルム廻しは映画関係者並みの腕前です。映画フィルムも米国に没収されてた時代にと思うとかんがい深いです。
--才 ---
お墓参りの様子、母の服装など「見たことある!」と頬がゆるみました。どこへでも車で出掛けた記憶です。
53才 世田谷区
当時のレクリエーションは歩くのが基本。映像にあるような公園には、紙芝居屋が来ていた。近くの市場で大火事があった。市合併のころ博覧会があった。グレン飛行士の映画。
68才 上北沢
今の恵比寿と街並みが違いすぎて本当に恵比寿なのか?今もある目印になるような建物などは映っていますか?
40代 世田谷区
自動車ー水冷エンジンでオーバーヒートした時に薬缶の水を注ぎ足していた。オリンピックー毎日、小学校で競技のテレビ中継を見ていた。
69才 世田谷区
夏休みに「田舎に帰る」といって地方の実家で過ごす子らを羨ましかった。ずっと自分の家にいたので。
68才 世田谷区若林
私も4~6才の頃、大原で過ごした。花火大会の渋滞で大泣きし、もう帰りたいと言って家族を困らせた。花火が始まって、車の後ろ窓から花火を眺めていた。
31才 北区
自然と共存しながら生きる素晴らしい暮らしをしてたのだと感じました。
30才 世田谷区三宿
親は島育ちなので、若い頃の写真に海岸で牛の親子(野牛です)が映りこんでいたのを思い出しました。母牛が後ろを遠くついてくる子牛を振り返り、モーと呼んでは歩いていったそうです。
49才 川崎市
自分の知らない当時の姿が不思議で、この時に一生戻ることは出来ないが、映像を通してこの時に逢えるのが面白いなと思いました。
20才 日野市
自分の父母が10代だった頃の映像となるため、父母から聞いた当時の話はこのような風景の中にあったのだなと思い浮かべながら拝見しました。
41才 世田谷区
大原は漁港のイメージが強かったので泳げるなんて意外でした。
68才 大田区蒲田
夏休みに母方の田舎、和歌山県の新宮へ毎年のように行っていました。新幹線もなく紀勢線も南回りしかなく、移動は途中1泊で楽しかったけれど親の負担は大変だったのでは。
71才 大田区
8年くらい前に、住み込みのアルバイトで夏の間伊豆大島に行っていた友人を訪ねて大島に行き、2人で海を泳いだことがあったなと思い出した。
35才 目黒区
自分の出身が横浜の海沿いで、漁港もあるような場所だったので、海岸の風景を見ていると時代も場所も知らないところなのに何となく懐かしくなります。
32才 目黒区
しょっちゅう海に行っていたくせに泳ぐのが嫌いだった。
57才 世田谷区太子堂
映像に障子紙を破いているシーンがありました。あの中央だけガラスが入っている障子戸、近頃見なくなりましたが、私の実家も母の実家もあのタイプでした。
今年の暮れに63才になります 世田谷区宮坂
一緒に鑑賞した方の当時のエピソードを聞いて、にわとりの鳴き声、にわとりを追っかける時の掛け声が思い出された。
51才 世田谷区若林
オロナミンCなどのホーローの看板、ビックリマンシールのニセモノのガチャガチャなど独特の雰囲気の思い出。「光井さん」という食料品店で祖母にお菓子をいつも買ってもらっていた。
42才 世田谷区
奈良公園の鹿も鹿せんべいも、こんな昔からあったのですね。4才の男の子がとても愛らしいです。お洋服は当時では普段着なのでしょうか・・・
45才 板橋区
鯉は長生きだからまだ元気かも。
54才 世田谷区
ボロ市、おめんかぶりの露店での耳かき売りの白髪の老人、その息子さんが引き継ぎ、その息子さんの死後、後を継いだ人が巣鴨のトゲヌキ地蔵で営業していました。
66才 三鷹市井の頭(世田谷に32年、三鷹に34年)
行商→市→商店街→スーパーマーケット→ネットスーパーへの変化を生きています。
46才 三鷹市
おやつに参画【三角】のフライドポテト1個1円紙に包んで持って帰って食べた思い出があります。
65才 週2回上野 鳩山町
うちに昔から来てくれているお豆腐屋さんを思い出しました。ボウルを持っていくとその中にお豆腐を入れてくれるのがとても新鮮だったのと、小さい頃その売りに来る時のバイクに乗せてもらったのが良い思い出です。
43才 静岡県静岡市
商店街は身近にあるものではなくて、清水で七夕祭りがあるから、祖父のいた大阪に遊びに行った時にあったりしたが、ほとんど思い出がないことに気づいた。
19才 八王子市
今もウルトラマン商店街がある場所に住んでて、その賑わいにどこか惹かれて住む場所を選んでるのかもしれません。
36才 世田谷区
巣鴨商店街が昭和40年の段階でそんな先進的な存在だったことから、”おばあちゃんの原宿”を経て今日に至る流れをもっと知りたくなりました。
50代 豊島区
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