今の感覚で見ると編集済の映像に見えますが、当時は超高価だから流しっぱなしではなく細かく撮っていたのでしょうか。

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32才 世田谷区

女性はみな和装。男性のネクタイ結び目が意外に小さいデスネ。

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50代 世田谷区玉川

披露宴はお膳からテーブルに変わる時代。地方はお膳、都会はテーブル。テーブルでも和食が多かった。神戸では中華も。

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67才 世田谷区

結婚式の写真は我が家(実家)にもたくさん残っていますが、いかにも当時の服装、髪型、みなさん共通のドレスコードがあったのですね。

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61才 世田谷区三軒茶屋

「坊ちゃんがり」という髪型を思い出した。

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50代 世田谷区烏山

いろいろ。子どもは大人と同じだけの大きさと多様さで瞬間瞬間を受け止めている。匂いや手触りまでよみがえる。

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65才 新宿区下落合

井の頭線の渋谷駅の改札を出て、山手線の改札口に向かっていると、右側に玉電の渋谷駅があり、電車が進入して来るところでした。

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69才 世田谷区

荒川線と世田谷線は専用軌道があるためかろうじて残ったものの都会のすみっこに追い込まれた気持ちになった。

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82才 世田谷区

後ろに写っている風景と今の風景を比べ、今も残っている景色がところどころ見ることができ感慨深い思いがしました(10年位世田谷に居住)。

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59才 千葉県

あの玉電の運転手さん達はその後どうなったのでしょうか? そして代替のバスの運転手さんたちはどうなったのでしょうか? そして電車のユーレイは???

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69才 大田区西糀谷

大橋の東邦病院に入院中、大橋車庫の出入りが良く見えた。定時運行がままならないので、電車同士で大渋滞。

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67才 世田谷区若林

玉電タルボ型、大好きでした。ひゅっと出てくるタラップもかわいい。なくなった時は悲しかった。今はないお店も見られて懐かしかったです。

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67才 大田区西糀谷

父に連れられて見に行った玉電最後の花電。当時はバスを利用することが多く乗車時の記憶がほとんどありません。

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61才 世田谷区桜新町

時々横浜の祖母の家に行くと、すぐ目の前が「電車通り」で路面電車が走っていたことを思い出す。

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65才 横浜市

題名につけられた「消え行く」という言葉が何重にも重なって感じられる。

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49才 世田谷区若林

学生時代によく都電(荒川線)に乗っていたことを思い出しました。半世紀前の玉電の運転席からの景色も一部、15年前の荒川線のように見えて、驚きと変な懐かしさがありました。

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37才 杉並区

大正生まれで長年世田谷で暮らしていた祖母から会話の中で時々”玉電”と出ていたこと。

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39才 世田谷区経堂 宮の坂も近いです。

当時のことは知らないですが、昔の2段ステップの古いバスの事、あとは現在も残っている荒川線、世田谷線のことを思い出します。

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43才 世田谷区経堂 住んで10年程ですが、落ち着いて住みやすいです。

当時は長崎在住で長崎市には同様に路面電車が在り、懐かしく比較して見た。

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80才 世田谷区粕谷

200形ペコちゃん。車掌が2人、ドア扱い、車体が丸っこいのでステップがせり出す。一番嬉しいのが運転士の横までロングシート、展望席だった。

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1956年生 世田谷区池尻

キップを社内で車掌さんから買った。パチンとハサミを入れてもらったことが子供心にうれしかった。

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--才 ---

十代、三宿の新星中学校に玉電を超えて・・あのころ・・何故かツリボリ屋があった。ミニチュア・カーレシング場があって若い世代の子供たちが遊んでいました。

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--才 ---

弟は電車が好きだったこともあって目的地まで手を繋ぎながら一緒に歩いた。その時の弟はとても大人に見えた。

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33才になりました ---

「玉電」は全く知らない。でもどこか懐かしい気持ち。人との距離が近い。1人1人がはっきり見えている。

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H5年生まれ、現在30才 福島

今と違ってカラフルですごくカワイイ電車!!!というのが第一印象です。

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25才 葛飾区

今は玉電時代の車輛は廃車されて残っていないけど、世田谷線に乗ると玉電のことが頭に浮かんできます。

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61才 横浜市

町中に今以上に色味が溢れている気がする。人が皆上を向いている気がする。

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30才 世田谷区

私にとっては本当に懐かしくて、いつまでも話をしていたいのですが、生まれていなかった方は相当アウェイ感あるんだろうなぁ。

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69才 大田区

象のハナ子さんが動いているのが見られて感動です。井の頭公園へは幼いころはあまり行った記憶がありません。昔はキチンとした服でお出かけしてたんですね。非日常なのかなぁ。

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66才 大田区西糀谷

休日のお出かけの様子なのに、学ラン姿の子どもが微笑ましく映りました。

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42才 静岡市

自分の幼少期に動物園に行った記憶はない。あまり外出する家ではなかったので、小学生くらいの記憶が残るころには行ってないのかもしれない。

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32才 豊島区

子どもの頃、動物園といえば上野で大学生になって初めて井の頭公園に行った。公園の手前に古くて大きな立ち飲みの焼き鳥屋があって、活気があって好きだった。

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65才 横浜市

安い既製服などなく、小さい頃は母親の手作り服で出かけていました。男の子の坊ちゃん刈は、私もそうでしたがとても嫌だった【の】で、横分けの友達が羨ましかったです。

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67才 世田谷区

高校3年生で安保で揺れていた時代

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82才 ---

家族と一緒に行ったお墓参りの非日常感、レジャー感、イベント感を思い出した。

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49才 世田谷区

1980~井の頭公園の思い出・・・中学から憧れて上京したらすぐに行ったこと。井の頭線のイメージ。「吉祥寺」が大好きだったこと。

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62才 目黒区

羽根木公園のプールが懐かしかった。同じ年だと思いました。いい映像ですね。

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--才 ---

羽根木公園のプール懐かしい。夏しか開いていない小学校の友人や姉妹と遊びに行った思い出。帰りに自販機でサイダー買うのが楽しみだった。

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35才 練馬区

当時、運動といえば野球全盛の時代。大人も子どもも野球帽をかぶっていました。こちらの兄弟のように野球の練習をする風景は日常でした。

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50才代 世田谷区

音が無く静かな映像だからかもしれないが、男性も女性も現代よりも品が良く恰好がついている印象を受けた。皆堂々とキラキラして生きている。

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21才 多摩市

銀巴里で歌っているのは石井好子さんでしょうか・・・。茶沢通りを下北に向かって歩くと、銀巴里という名前の古い床屋さんがあります。

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--才 ---

80年代に関西出張の帰り、座席に座っているよりも、と、食堂車でカレーライスとビールで同僚と寛ぎました。

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67才 世田谷区

私が初めて新幹線に乗ったのはかなり後、昭和45年に家族で大阪万博に行った時。会場で大雨になり、びしょぬれで情けなかったことしか思い出せない。

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65才 横浜市

映像は国鉄時代ですね。上京してから、山手線にも馴染んだ頃、E電と呼んだ時のことを思い出しました。

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50歳代 世田谷区

昔は一つ一つが大切なことで一つ一つ丁寧に祝ったのだろうと思った。当時映像を残すことは特別なことだったはずだ。だからこれまで残ったのだろう。

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46才 流れ流れ杉並区

紅白の花輪はお店の開店にはつきものでした。パチンコ屋の前にはなぜか一年中花輪が立っていた。花輪を積んだ幌付きのトラックもよく見かけました。

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65才 横浜市

普通はよくてブルトレで移動とか、街路に開渠のドブは珍しくなかったなぁ。頭が丸いコンクリートの棚はよくあったなぁとか思い出していました。

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66才 世田谷区

東京浅草の生まれですが、戦争(1941~1945)のため母の郷里、埼玉の比企郡(JR八高線の村)へ家族全員で「疎開」時代に入りました。小学校もこの村の学校へ東京から近かったため、疎開族が多くいましたが3~4年すると殆どの東京出の友達は東京へ引き上げてしまいました。

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81才 世田谷区三宿

長女の高校合格の発表があり、ほっとして喜んでいた矢先、その日の夜、会社から帰宅した夫から突然、大阪転勤になったと告げられた。夫はすぐ大阪へ。

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88才 世田谷区代田

近くに住んでいた1才違いのいとこがおじ家族の大阪転勤でいなくなり、実家に遊びに来る夏休みが待ち遠しかったです。

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66才 世田谷区

もう60年も前の日々、若さだけが自分の全てだったかも・・・ 前年位に60年安保があり、政治に目覚めてもいた。

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79才 上町

同級生が茅葺の家に(小学生の時、世田谷で)住んでいたこと、思い出しました。キャベツ畑もあったなぁ。

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66才 大田区西糀谷

玩具メーカーに勤めていた父が、社長のお供でアメリカに出張し、帰国の日に大勢の社員の人達と羽田空港に迎えに行ったのはちょうどこの頃だったと思う。服は母の手縫いだった。

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65才 横浜市

昔、世田谷にも旅館ありましたね。

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68才 大田区

当時の人が憧れた生活だろうな。

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72才 世田谷

前の職場の利用者さんが軍需工場に動員された。ドラム缶か何かを紙で貼ったりして、こりゃ負けると思った、と言っていたのを思い出した。

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41才 下高井戸

高輪生まれ、高輪育ちの母親は、三軒茶屋に引っ越す友達のことを「三軒茶屋に都落ち」と言っていたことを思い出した。高級住宅地世田谷のイメージはいつ頃定着したのだろう?

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55才 世田谷区太子堂

スピッツはいつ頃から姿を消したのかな?という事が気になりました。今日のお話だと犬を飼う事がある種のステータス的な時期もあったようで、私自身は工業地帯で育ったためか、子どもの頃は野良犬の怖かったイメージがあります。

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41才 兵庫県

「和食」は日常生活の継承として子どもたち(次の世代)にも伝えられるようにしているんだと思いました。

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--才 ---

亡くなった祖父から聴いた話と祖父との思い出。生きていたら100才超えに当たる祖父が、戦争から帰ってきた時「犬を見て『美味そうな犬だ』と思った」と言っていたこと。

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28才 大田区